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2005年08月16日

責任をとるのが上司……が通用しなくなる悪循環

前回、日本企業では新入社員を「人材」扱いし、「人材」に育った後では優遇どころか搾取する傾向があるとお伝えした。もちろんこれは諸外国との比較で初めて見えてくる事なのだが、同時にこれからの日本では、従来型の「働かせ方」は受け入れられなくなっていくだろう事も予想出来る。

なぜなら、既に従来型の「働かせ方」では従業員の意欲を保つ事すら難しくなってきており、優秀な人材はますます海外や外資系に流出する結果となっているからだ。

さらに、この影響は「人材」レベルの従業員だけでなく、じわじわと「人手」レベルの従業員にも波及してきている。

これは一体どういう事なのか?
職場でこんな不満の声を聞いた事が無いだろうか?

「俺が責任を取るから、思いっきりやってみろ!って言えるぐらいの度量がないと上司なんて邪魔なだけだよなぁ。」

無責任上司、部下に責任を押し付ける上司、物事をうやむやにする上司、そんな存在価値のない上司が多すぎる。

責任を引き受ける事が出来るレベルの従業員こそが「人材」である。つまり、「責任をとる」のが「人材」の役割なのだ。

それなのに、まだ「人手」レベルの状態である部下に責任を押し付けてしまうのでは企業は大きな損失を被る事になる。

責任というものは現場の「人手」レベルの従業員では処理出来ない問題なのだ。そこから「上司」が逃げてしまえば、「人材」として扱われる資格は無いし、問題は解決しないので顧客やチャンスを失う。

結局、「人手」レベルの従業員の意欲も低下してしまい、「人手」から「人材」へと育つはずの「人材予備軍」がそのまま根腐れ状態に陥ってしまうのだ。

どうして「人材」たる権限を与えられた人々が、責任を負うという最も重要な仕事を放棄してしまうのだろうか?

もちろん、「やってらんない!」からである。

もっと正確に言えば「やってらんない!」で放り出してしまっても仕方ないだろうと思ってしまうほど、給与額が低いからだ。当然もらう給与が低いので、成果に対するプレッシャーも低い。いつでも言い訳が出来る状況なのだ。

では、言い訳の出来ない状態にしてしまおう。

まず、「人手」レベルの平従業員に比べて3倍の給与をもらっているとなればどうだろう?

さらに同業他社に比べて5割増ならどうだろう?

たくさん貰っているという事は大きなプレッシャーになるが、良い意味で緊張感が生まれるし、待遇がその分良くなっているので、責任を引き受けたり、成果にシビアになるなど、本来の「人材」としての職務を全うする意欲も生まれるだろう。

逆にこの程度のプレッシャーでつぶれてしまうようなら、それは「人材」ではないという事だ。プレッシャーに打ち勝つ不屈の精神力こそが人の上に立つ人材の最低条件だ。

従来型の日本式経営では少々昇進したところで、たいした昇給も無く、だから覚悟も無いままで肩書きだけを引き受ける。これでは「人材」にふさわしい人間力が備わらない。つまり迫力の無い頼りない上司ばかりが増えてしまうのだ。

従来の日本式経営に慣れている人にとって、この提案は受け入れがたいかもしれない。というのも、給与格差をつけるのは、社内に軋轢を生み、それは従業員の意欲を奪うという思い込みがあるからだ。

給与格差による軋轢発生というのは、部下から「たくさん給料貰ってるくせに、あの上司は何だ!」という突き上げの事であろう。正直に言うが良い。たいした覚悟が無くても上司になれて、あまり文句を言われない程度の昇給が貰える方が良いと思っている企業幹部は多いのでは無いか?

これは大間違いである。

給与は3倍でも30倍でも貰えばよろしい。そうすれば、嫌でも覚悟を決めて上司らしい仕事ぶりを見せなくてはならなくなる。そこを曖昧にする事で楽をしようとするのは「人材」たる立場の人間にふさわしくない態度だ。

部下達にしても、どれほどの覚悟を決めれば人の3倍貰えるのか上司の仕事ぶりを見せられれば、本気で「人材」に育とうという人間と、昇進から背を向け「人手」として流動する労働力に分かれる事だろう。

結果として意欲の高い「人材」が昇進する可能性は高くなる。後は、それら有能な人材を活用して、どんな「人手」も上手に働かせる事の出来る経営を積極的に目指す事だ。労働力の流動性はますます高まって行くし、この流れは止められない。ますます柔軟性が必要とされるこれからの時代を勝ち抜いて行くには、流動的な労働力を使いこなす優秀な「人材」で経営の核を固めるしか無い。

さて、ここで疑問になるのは「人材」に対する高待遇を実現するための資金をどこから持ってくるかだが……言うまでもない事で、これは「人手」レベルの従業員の給与を削減すればよろしい。

それが理由で辞めて行くような「人手」こそ、必要のない労働力である。

責任もとる事の出来ない「人手」レベルの従業員を「人材」扱いし、その上、彼らのご機嫌をうかがっているような企業というのは、生徒に嫌われるのが怖くてご機嫌取りをする情けない教師や学校と同じだ。

どちらも末路は悲惨である。

そういう企業(学校)自体が落ちぶれるだけでなく、そこの従業員(生徒)も成長の芽を摘まれ、未来を切り開く力を奪われてしまうからだ。

本当の意味で「人材」を大切にする事が、従業員のモティベーションを高く維持し、「人材」発掘と育成を容易にする。「人手」の顔色をうかがうような暇がまだあると思っているような企業は、これから生き残る事が難しくなってくるだろう。
posted by 本気らいふ at 03:07| Comment(1) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
その通りですね。

日本人の労働水準というより、労働”意欲”の衰退にはこんなことが関わっているでしょうね。

”どうせ働いたってどうにもならない”
どのように”どうにもならないのか”が本人にも明確に分からない若者がニートにもなるのでしょう。

昨今の履歴書用紙の記入例にも、2、3年ごとに会社を点々とする例があるのですが、労働環境がそこまで流動的になっているのは、ご指摘のような点があるのでしょう。
Posted by mamo at 2005年08月18日 08:22
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