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2010年01月16日

意味がないという真実だけが救い

人は「意味」を求める。

で、意味がないという事をやたらに恐れる。

幸運にも、不幸にも、意味があるはずだと、意味探しをする。

で、その意味を見出そうとする壮大な妄想の果てに宗教があったりする。

意味なきものに意味を求める人に、仮初の意味を与える事で落ち着かせる装置として宗教を考えれば、それはうまく機能している。

真実よりも、仮初の意味が人を救うことはある。ウソも方便とは良く言ったものだ。

そういう意味では、この装置の創始者達(ブッダなど)は徹底した現実主義者だったのかもしれない。


でも、本当に自由な自分の人生を生きていたいなら、

「意味の無いことに、意味は無い」

という真実を受け入れることだ。

先祖の因果で自分に不幸が起きるなんて事を信じたくなる事だってあるだろうし、そういうふうに考えなくては諦めがつかなくて次に進めないという事もあるだろう。

幻想を利用してでも未来に向かおうという事なら、悪いことばかりとも言えないだろうが、何か起きる度にそういう「意味」を無理矢理に見出そうとするようなら、それは人生を無意味な意味に操られる事を意味する。

さらに、悪質な連中は、こうした無意味な意味を使って人を思い通りに操作しようとする。


例えば、神戸震災で被災した人を相手に、それは先祖の業によるもので、被災したことによってその業が取れたのだから喜ぶべきだとか言う人が居たりする。

世界最大の宗教では、勝手に人間の全ての罪をひっかぶって代わりに贖ってくれた人がいて、その人を信じる人だけが救われるとかって、壮大な「意味」を世界の全てにおっかぶせてくれたりする。


全ては必然とか、

全てに意味があるとか、

そういうのは詩的な表現としてはアリだし、そういう表現から何かが見いだせる時もあるけれど、

現実に問題を解決して幸せに生きるためには、無意味な事に意味を求める事は邪魔に成る。

ファンタジーはファンタジーとして扱う事だ、現実とファンタジーを同じにしてしまうと、ファンタジーの力を利用することが出来なくなってしまう。


人間の力でどうにもならない出来事について、

そこに人間の手前勝手な意味をくっつけるのは無駄な行為だ。

一時的にそういう方便を使った方が良い場面もあるかも知れないが、かならず本当の事、つまりそこに意味なんて無いってところに帰ってこなくちゃ駄目だ。

大地震を避ける方法なんて無いよ。

偶然の事故に巻き込まれるのに意味なんて無いよ。

それは、ただ、起きるだけなんだ。


それでも、神とやらが全てに意味をもたせていると力説する人が居る。

私はいつも、そういう人に言うんだが、

もしも、神が居て、(居るって表現も変だが)どうしてその神が、人間の理解の範疇の行為でしか無い「意味」なんてものを元に行動するのかな?

それこそ冒涜ってものじゃないか?

私にしてみれば、神ってもんが、「無意味」って白紙を投げてくれているって事の方が祝福だ。

その白紙の無意味な場所こそが救いじゃないだろうか?

無意味でもいいんだ。


むしろ、

こんなに大勢の人が自分に意味を求める世界の中で、

自分は無意味でもいいやって生きていく事の方が、リアルだし、幸せなのかも知れないとすら思う。

無意味であることを悩む必要は無いって気づけば、

いろんな事が楽になるんじゃないかな?
posted by 本気らいふ at 02:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 安心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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