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2009年11月18日

「時をかける少女」を追いかけて

年末まで、Gyaoで原田知世が主演の「時をかける少女」をやっている。

http://gyao.yahoo.co.jp/p/00643/v08414/

当時、「土曜日の実験室〜!」とか叫びながら廊下を駆け回る、「オタク」という呼び名が定着する前の、ちょっと尖った先輩達が居た。


私はと言えば、一目惚れを始めて経験したと同時に、実はその一目惚れ相手が原田知世に似ていたって事もあって、

このファンタジーSFの世界が、自分の世界とちょっとシンクロしているような感覚を受けていた……と、今だからそう思うんだが、単にティーンエイジャー特有の不安定さがそういう気分にさせていただけなのかもしれない。

今になって卒業写真を見てみると、我が青春の原田知世は、記憶の中ほどには原田知世に似ていない。

思い出にはそういう色眼鏡がかかるものなんだろう。

ん〜。卒業アルバムなんて見るもんじゃぁ無いなぁ。野郎どもの写真には何の違和感も無いのだが、なぜか女子の写真には「あれ?」と思う事が多くて、

無意識に異性をどれほど意識していたかって事がよくわかる。


20代の頃に、この映画をビデオで見る機会があった。

その時、「ちょっと幼稚じゃないか?」なんて事を思った記憶がある。

理想の恋?ずっと想ってる?時間を越えて?

中学生なら信じられるファンタジーかもしれないけれどねぇ……。

と、ちょっと斜めに構えていた20代。

でも、

30代の今、あらためて観てみたら、

すんなりとこの世界を受け入れ自分が居て、いくつかの恋を思い出したりしている。

現実の恋は、映画みたいに美しい事ばかりではないけれど、懐かしく思い出される部分ってのはどれも映画みたいだ。

以前は、美しい想い出よりも、悲しかったり苦しかったりした事を思い出すべきだと、それが現実的だし現実的であるべきだとか思っていた。

でも、今はまるっきり逆だ。

美しい想い出がより鮮明の残る。

現実よりも美しく想い出がエンハンスされる。

それは人間という生き物が持つ高度な機能で、人生を主観的なものと捉えれば、それを素直に受け入れるって生き方は正しい。

生き生きとして人生を過ごして行く為には、客観的とか現実的とか、それは正しいのかって尺度より、「それは楽しいのか?」って尺度の方が明らかに優れている。

で、この「時をかける少女」は、思春期の恋からずっとこちら、美しく心にのこってしまうところを、スクラップブックしたみたいな作品で、

懐かしく思い出す事ってのが、過去から癒されるっていうタイムスリップの効用だったりして、ラベンダーの香りに比喩される「大切な想い出」というものを、愛おしく思う感性ってのを呼び覚まされる。


この作品の原作は筒井康隆氏の同名小説。


小説が映画になったり、マンガがアニメになったりすると、ほとんどの場合、原作をぶちこわしにするか、原作の理解が浅くて薄っぺらな作品になるかのどちらかなんだが、

この映画はラストが原作と違っているにもかかわらず、原作の雰囲気を強く残しながら魅力的な別エンディングとなっている。

まだ原作を読んだ事が無いという方は、ぜひ映画の後でも前でも読んでいただきたい作品だ。


また、2006年7月15日に公開されたアニメ版の「時をかける少女」は原作の出来事から約20年後を舞台に次世代の登場人物が繰り広げる物語を描く続編となっている。




posted by 本気らいふ at 06:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論家の体で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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