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2008年10月21日

心をはなれない歌

渡辺美里の「男の子のように」という曲がある。

地味な曲として、渡辺美里ファンでも知らない人は知らないらしい。(そういう人はファンではないという意見はおいといて)

私は別に渡辺美里ファンというワケでもない。

さらに言えば、原曲を聴き込んだ事も無い。

なのに、心をはなれない一曲として残っている。


その曲を歌う声は、渡辺美里ではなくて、潰れかけの軽音楽同好会で一緒だった同級生のものだ。


文化祭の舞台で、その曲を弾き語っていたその時の事を、私は妙に憶えていて、自分が立っている舞台からは、照明がまぶしくて、グランドピアノの天板の向こうに、その姿がシルエットになっていた。

そういう風に憶えている。

何が楽しかったとか、あまりそういう想いは無い。

懐かしいとか思う事も滅多に無くて、母校を尋ねる事もほとんど無かった。

思えば、馬鹿な事をしたとかって、よくある青春の思い出話みたいな事も無く、自分の無力に腹を立てなきゃ成らない程の望みも無かった。

自分の思うところだけで生きていて、未来を見ているようで、そんな事は不得意で、今、目の前にある事をなんとかしているうちに、今日まで来てしまったという感じがする。

そういう、なんだか実も蓋もない十代を過ごした中で、

この曲はCDも持ってないくせに、心をはなれない。


ふっと思い出すと、誰かの肩にそっと手を置いて、川面を眺めているような、そんなキモチになる。

放課後の夕暮れの教室で、ふと自分の薬指が女の子の髪に触れたような、そんなキモチになる。

あの当時、そういうキモチだったのかは良く分からない。

でも、大切な事を綴じている、綴じ紐のような気がする。

そんな曲だ。


日頃、懐かしいなんて感覚が欠落したかのような自分が、

古い木造の体育館の倉庫に押し込まれたようになってたグランドピアノ

取り壊される予定の校舎の端っこに運び込まれたドラムやシンセ


なんだよ、懐かしいとか思う回路とかないくせに、やけにハッキリ憶えてるじゃないかと思う。

ああ、そうか、あの場所に行こうと思わないのは、そこに行けば、廃墟を見るように思い知らされるからなのか。

既に思い出の場所さえ、取り壊されて今は無い。

でも、それ以上に、その場所がそのままだったとしても、誰もその時に戻れない。

そんな当たり前の事を、いまさら確かめたくはないからなのかもしれない。


その場所に立って、でも、誰もいない。

あの時は、いつだって、その場所にはアイツが居て、コイツも居て、あの娘だって居て、そんなの当たり前だった。

だけど、あの頃みたいに、気まぐれでその場所に顔を出しても、誰もそこには居ない。

連絡して、同窓会やればいいかって、そういう事じゃないんだ。

ただ、ぶらっと行けば、それでそこに居た、そこに在ったって事のかけがえのなさを、失ってからじゃないと感じられないって事の寂しさを、薄めたいわけじゃ無い。

そこに今、自分が立って、懐かしんでみたりなんて贅沢な事を出来るもんかねと、なんだかそういう事をやっても、今の自分じゃ下品になっちまうんじゃないかと。

「あなたは、男の子のような目をしていた」

まぶしい照明の中でそう歌う声が、耳の奥によみがえる時。

あの頃と何も変わらない自分が居る事に気付く。

思い出とかそういう片付け方も出来なくて、散らかしっぱなしの部屋みたいなキモチで、ぼさーっと突っ立ってる自分が。
posted by 本気らいふ at 04:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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