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2010年05月29日

国債の国内消化率が高いのは、問題先送りを助長するのではないか。

日本は国債の殆どを日本国内で消化しているので、格付けも安定しているし、財政問題は騒がれるほどのものではない。

という意見がある。

亀井さんなんかはそれを根拠に結構無茶な事を言ってくれているようだが、さて、本当にこの状態は安全なのだろうか?

この手の話題は、どれも同じような切り口で語られるんで、私はちょっと別の方角から攻めてみたい。

どういう切り口かと言うと、

早い時期に国債は返済に口うるさい外国に買ってもらって国債格付けの低下によって追い詰められた方が日本の将来にとっては良いのではないかという事だ。続きを読む
posted by 本気らいふ at 17:42| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ここまで予想通りとは、結局エクサはモフィーのせいにして逃げる。

エキスパートアライアンスのELAドットコムサービス。

携帯かけ放題を謳っておきながら、結局は中止になってしまったが、その理由としては

「開発力の無い「モフィー」という会社と付き合ったのが間違い。」

などという、責任転嫁を説明会でやってくれているらしい。

この展開はアンチが当初から予想した通りの事で、続きを読む
posted by 本気らいふ at 04:27| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月27日

知事が手を挙げたからってどうにもならん問題だよね。



安全保障の問題なんで、戦略的にどこに兵を配置するかとかって事の方が優先されるんで、

いくら全国の知事がうちの県が受け入れますなんて手を挙げてみても、戦略的に意味のない場所であればそれは拒否される。

軍事の問題なんだ、国防の問題なのだ、場所はどこでも良いという類の問題ではないのだ。

そんなことは普通の高校生にだって続きを読む
posted by 本気らいふ at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月26日

レナウンといい、トヨタといい、オタオタする事があるんだろうか?

トヨタの問題が出た当初、「陰謀」だとする論調が多かったが、先日のレクサスの問題が出てからは急におとなしくなってしまった。

そして、今度はレナウンが中国企業の傘下になったというニュースに色々と反応する輩が出てきている。

はぁ……。

何をオタオタしているんだっての。

むしろ、ここでレナウンが中国企業にもそっぽを向かれるほどで無かった事を喜ぶべきだし、世界に価値あるブランドだと認知されていることに自信を持つべきニュースだろうに。

バブル崩壊でオタオタしていた頃にも、あちこちで外国資本をハゲタカとして忌み嫌う風潮があった。

だが、あの頃、本当に叩かれるべきはハゲタカ達ではなく、日本の金融機関だし財政だった。

本来ならば日本の産業を守るという社会的責任を果たすために、しっかりした事業計画と共に日本企業を再生するべく日本の銀行が奔走するべき時だったのだ、

なのに、日本の金融は自己保身に走り嵐が過ぎ去るのをひたすら待つという姿勢をとった。

あの時、ハゲタカ達が買い叩いたとは言え、ハゲタカ達が居なかったら日本はもっと悲惨な状況に陥っていただろう。

そういう事が見えないから、今回のレナウンのニュースに対しても歪んだモノの見方しか出来ないのだ。


かつてのハゲタカファンドを罵る人々にはお聞きしたいが、あの時代、リスクを取って日本に投資したのは外国資本ばかりだった。日本の銀行は何をしていた?日本の政府はどうしていた?

確かに安値で買い叩かれたが、別に喉元に銃を突きつけて脅したわけではない。むしろ、日本国内に同胞の危機を救おうとする金融も政治も無かったから追い詰められただけの事であり、これは日本側が交渉材料を持たなかったのが問題なのだ。

タダで取られるよりはマシだったろう。なにしろ国内の金融機関はどこも引きとってくれなかったのだから。

恨むべきはハゲタカファンドではなく、仲間を見捨てて自己保身に走った邦銀やら政府であろう。


今回の事も、中国企業による企業買収を脅威として煽り立てるマスコミに乗せられてはいけない。

日本だって、海外の企業を買収しているし、その判断基準は利潤の追求であって、中国だろうがアメリカだろうが日本だろうが、それは同じでなくてはグローバルに発展出来ない。

中国企業が買収したら、何か特別変な事が起きるとでも思っているのだろうか?

もしも中国企業が日本企業を買収することによって、何か民族差別的な事が発生するとかいうのであれば、単にその中国企業が世界的に淘汰され消えて行くだけのことだから放っておけば良い。

そもそも、日本の企業を買収するレベルにまで成長した中国企業が、グローバル経済の常識を無視するような馬鹿げた真似をするワケがない。

立場を変えて考えてみよう。

中国に進出した日本企業に対して、中国の人々が「日本人がまた侵略に来ている!」とか騒いだとしたら、そんなつもりは無いのに、どうしてそんな事を言うのだろうか?と気分を害するのではないか?

それと全く同じ事だ。


敵対的買収ですらないレナウン。

馬鹿げた事を心配するのではなく、むしろ中国と手を組んで発展を目指すという道もあると前向きに捉えるべきだ。

国内で手を取り合うことばかりにこだわって、技術やブランドを失う事は無い。

そもそも、日本という国は日本国内の技術や人材を本当の意味では全く評価せず、消えるに任せているのだ。

価値を認めてくれる相手であれば、それが外国人でも構わないではないか。

それが危険だとか煽る連中には、では、君たちがリスクを取って出資してくれるのかと聞きたいものだ。

リスクをとらず、価値も認めず、的はずれな恐怖感ばかり煽るのは「卑怯」というものだ。
posted by 本気らいふ at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月23日

鳩山さんの言葉に安心する人はいない。



沖縄普天間基地の件で、「腹案がある」とまで言っておいて「ごめんなさい」で済ませようとしている方の言葉を信じる農家が居ると思いますか?
posted by 本気らいふ at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

殺処分しか無いのか?

追記:)種牛を殺処分してしまった今となってはもう遅いが、口蹄疫に罹った牛が完治して、賞をもらった例があるという情報。

口蹄疫問題を考える―危機管理の立場から―vol.7

FMDに罹った動物は痩せて、商品価値がなくなると言われていますが、

1922−24年にイギリスでの流行の際、FMDに罹った牛を介抱し、

1923年のRoyal Showでその牛を優勝させた

Charles Clover 氏の業績があります。

(“ Old cowmen’s cure served duke’s

pedigree herd”, The Daily Telegraph 12-3-01,p6)

やはり、殺処分は避けられたのでは無いだろうか?




口蹄疫問題だが、ずっと疑問に思っていた事がある。

口蹄疫というのは、牛や豚がバタバタと死ぬような病気ではなく、肉質が落ちるといったもので、しかも、人間には感染しないという。

時間を置けば、治る病気だという情報もある。(補足:完治はしないという情報もあるが、納得出来る話が無い、もちろん感知しないなら徹底して殺処分なのだろうが……)

感染力は強いし、商品として出荷出来ない肉質になるとかで、短期的には感染拡大を防ぐことが最優先なのは分かる。

だが、

もしも完治する病気なら、のべつ幕無しに殺処分しなくても良いのではないか?

健康な牛を隔離する措置が有効であるのなら、続きを読む
posted by 本気らいふ at 12:28| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

自分を罰する為に、クーリングオフしないと語るマルチ会員。

自分の間違いを自覚する事は大事だし、そこに責任を感じることも正しい事だ。

しかし、

変なマルチにはまって、そのマルチを擁護する立場で大激論を交わした挙句、結局はそのマルチが失敗に終ってしまったという会員の方が、

全く的はずれな事をして責任を果たしたつもりになっているのを見て呆れてしまった。

彼は、自分にも責任を感じているので、そのマルチ会社に対してクーリングオフを要求しないというのである。

彼は続きを読む
posted by 本気らいふ at 00:05| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

iPadはスマートフォンではありません。電話の区分で語らないように。

ものすごく奇妙なことなのに、指摘されているのを見ないので……

iPadはスマートフォンでは無いよ

って事、分かってます?

あちこちで報道される時に、スマートフォンの括りで語られていて、だから携帯電話の一種としてのイメージで誤解して語られる事が多いのね。

そもそも

電話機能が無い

のだから、iPadはタブレットタイプの情報端末と続きを読む
posted by 本気らいふ at 12:03| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人よ、経済戦争における特攻を拒否せよ!

日本は、特攻なんていう愚行を繰り返した事を、全く反省していない。

特攻と言う作戦の愚かさは、人の命を兵器としたという事にあるのではなく、純粋にその効率の悪さにある。

特攻によって失われるのは、パイロットであり、まだ使える戦闘機である。

それらの損失よりも利益が上がるというのなら意味はあるが、ひたすら戦闘機を失い、片道の燃料などという無意味な節約をしながら、せっかく育てた多くのパイロットを失い、それを回復するめども立たないというのに、戦略の変更をしなかったのである。

これをバカと言わずして、続きを読む
posted by 本気らいふ at 02:50| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月13日

国民は試されている。同じことの繰り返しで終わるかどうか。


谷亮子の出馬表明が騒ぎになっている。

大いに結構。

ただ、知名度のみで担ぎ出される候補は他にも大勢いる。

国民は試されている。

知名度で踊らされる愚かな国民には、それ相応の政治しか与えられない。

いや、「与えられる」という表現は間違っているな、

国民の選択によって政治がつくられるのだから、その選択に真剣に取り組まねばならない。


多くの知名度のみ候補が、

「これから政治の勉強をします」

とか、続きを読む
posted by 本気らいふ at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月10日

クーリングオフしても、損をしている事に気付こう。

かなり長い事、この話題を書いている。

EXAの携帯かけ放題サービス、ELAドットコムサービスの事だ。

前回お伝えした通り、正式に一旦中止が発表され、クーリングオフの手続きが始まっているという。

しかし、ちょっと困った声が聞こえてきたので、ここに指摘しておきたい。

「クーリングオフをする誠実な対応で、エクサは信用出来る会社だと安心しました。」


とか、

「会員に損はさせなかったので……。」

といった声だ。


ここでハッキリと言っておきたいが、続きを読む
posted by 本気らいふ at 16:23| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月09日

残念な人、汝の名は…


残念な人の思考法

本日ざざっと読んだ数冊のうちで、ご紹介しておきたい本はこれ。

おそらく、この本の中で紹介されている「残念な人」タイプの人は、

この本が目に留まらないか、

この本を続きを読む
posted by 本気らいふ at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論家の体で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

エキスパートアライアンスとかELAドットコムは忘れた頃にまたやってくるかも。

連休明けて早々、エキスパートアライアンスのELAドットコムサービスの一旦中止が正式に発表されたという。

ほとんど全てが予想通りの展開で、一時通信が始まったときには私を罵倒した連中が軒並み電話が繋がらない状態になっている。

おそらくは苦情殺到で、電話番号を変えるしか無かったのだろう。

最初から実現性はほとんど無く、

ありもしないAT&Tとの提携、サービス開始の度重なる延期、実質的なサービスは提供されないままにトラブルを理由にサービスを休止した挙句、結局は一旦中止ということだ。

このブログにも中川会長を信じると息巻いてコメントやメッセージを下さった方々が数名いらっしゃったが、

侮辱的な文言を続きを読む
posted by 本気らいふ at 04:44| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月05日

米軍基地の県外移設、国外移設は、最初から無理だったよね。

「思い」という言葉を多用するばかりで、当たり前の論理的な思考が見えない鳩山首相には呆れるほかないのだけれど、

現実的に県外移設や国外移設が可能だと思っている人なんて居るんだろうか?と不思議になる。

沖縄に米軍が基地を置いているのは理路整然とした理由がある。

戦略的に意味のある場所に基地があり、部隊が展開していなければ、安全保障体制を維持出来ないからだ。

沖縄の方には本当に気の毒な事なのだが、地政学的に沖縄の位置は軍事的に重要なポイントとなっている事が不幸の始まりという部分も大きい。

沖縄があの位置にある限り、基地は無くならないだろう。

それは、アメリカに軍事力を依存する事をやめて、日本が自国の軍隊をもつ事になっても、

米軍基地が日本軍基地になるだけだろう。


県外移設、ましてや国外移設というのは、核兵器開発も辞さず何度も日本海にミサイルを打ち込むような隣国をもっている現状では難しいだろう。

悲しいことだが、世界は暴力に満ち溢れていて、

右の頬を打たれたからといって、左の頬を差し出せば、今度はハンマーで頭骸骨を砕かれる。

信じて明け渡せば、騙されて奪われる。

重要な軍事拠点となる沖縄から基地を無くしてしまうような事をすれば、それは犯罪多発地域で鍵をかけずに外出するようなものだ。

国外に移設しても、兵員輸送は可能だし、有事の際には日本に飛んできてもらえば良いという意見もあるが、

それは、ドアを開けっ放しの家に、警備保障会社の駆けつけサービスを付けているようなもので、

アタックを掛けてくる側にしてみれば、そこに自分たちを殴る奴らが居なければ、警備会社が殴りに駆けつけるまでに、やっちまえ!という事になる。

そういう欲望を最初から挫いてしまうのに、米軍基地の存在は一役買っている。


また、アメリカ国内にも沖縄に米軍を置く必要はないのではないかといった話があるという話題も持ち出されることがあるが、

これは、軍事費の削減を狙ったものと考えた方が良かろう。しかも、そういう提案はあるかも知れないが、現実としてアメリカは戦略上、日本と沖縄を重視している。

逆に、アメリカが日本と沖縄を重視しなくなり、米軍基地が国外に次々と移設されるような時が来たら、日本は安全な国とは言えなくなっているかもしれない。

このような論を展開すると、アメリカに頼り切った発想で情けないなどと言われる事があるのだが、

現実として、日本はアメリカに安全保障を頼っている。

日本だけで自国を守るとかってんなら、日本は軍隊を持たなきゃならないし、徴兵制度などの復活もありうるだろうが、

そこまでの痛みを覚悟してでも米軍を追い出せという腹の据わった方には滅多にお目にかからない。

米軍には出て行って欲しいが、日本に軍隊は作りたくないし、徴兵制もまっぴらで、志願もしない。

その上、

戦争を回避する為の経済力や外交力をつけようという真剣さも見られない。

無い物ねだりばかりに見えるのは、私だろうか?


今回の最大の問題は、実は現実に基地が移設出来るかどうかとう処には無い。

最初から無理なのだから、基地の県外移設については議論しても意味がない。

鳩山首相が、最初から実現不可能な「県外移設」を公約として政権をとったという、その詐欺的な集票優先主義にこそ問題の核心があると私は思う。

本当に沖縄の人々に負担をかけている事を申し訳なく思っているのであれば、

できもしない「県外移設」などではなく、

当面、今後も負担をかけ続けるしか無い沖縄の人々に対して、その負担によって日本全体が得ている安全保障という利益の分を、なんとかして沖縄に還元する事が出来ないかという事を考える方が現実的だ。

負担をかけて申し訳ないという「思い」があります。

とか、鳩山さんは「思い」という言葉を多用するけれど、

「思い」で情に訴えておいて、

県外移設の公約は票集めの手段。

今後も沖縄に負担はかける事を申し訳ないという「思い」はあるけど、その負担に見合った見返りとなる案が出るでもない。

見返りなんて求めていない!と沖縄の方々には突っぱねられるかも知れないが、それでも、罵声を浴びながら国として沖縄の為に還元出来る事を出すぐらいの泥の被り方はしてもいいじゃないか。

ここまで期待させておいて、「思い」なんて言葉を連発して、ウヤムヤにしようなんて、沖縄を徹底してバカにしている。

「思い」なんて影も形もないものじゃなくて、現実に触れる事のできる成果をくれ!

沖縄の人々だけでなく、アメリカ政府もそう思っているだろう。


このまま5月中の決着がつくとすれば、

それは、沖縄の人々の「思い」を踏みにじるカタチでの決着しか有り得ない。


出来ないことを出来ないと言えない人の行動原理は、

責任回避とか自己保身にあるのであって、

共感とか友愛といった「思い」では有り得ない。

返還合意からノラリクラリやってきた自民党政権が鬼の首でもとったかのように民主党を批判してみせるのにも呆れるが、

出来るわけのない公約で票集めをしておいて、沖縄の人々の期待を裏切るという民主党にも望みはない。

政権交代ではなく、世代交代が必要なのかも知れない……。

でも、世代交代でもダメかも……と、若手議員たちを見ていてそう思う。
posted by 本気らいふ at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月04日

Amazonのレビューはアテにならない

先日、Amazonのレビューだけで判断してとある製品を購入した。

ところが、製品が届いてから驚いた。

動作速度、安定性、機能、全てにおいて製品説明とはかけ離れたもので、完全な詐欺商品といってよいものだった。

価格.comなどのレビューを確認し直したところ、そこでは悪評が書き連ねてあり、トラブルに巻き込まれ、しかも会社が不誠実な対応をする事に怒り狂ったユーザーたちの声が満ち溢れていた。

Amazonのレビューで絶賛されていたのは何故なのか!?


レビューしたユーザの履歴を調べてみたところ、驚くべきことが判明した。

この製品を絶賛したレビュワーは、同じ会社の別製品ばかりを絶賛し、

ライバル会社の製品のレビューには極端に低い評価をつけているのだ。

調べてみると、この会社の製品に関するレビューには複数のユーザーに全く同じ傾向が見られる。

これはもう偶然とは思えない。

そう、

このゴミのような製品を売っている販売会社が仕掛けた自作自演レビューだ。


この会社、返品も返金も、修理すらマトモに受け付けない。

サポートは早々に打ち切ってしまい、ソフトウエアのアップデートもしない。

で、

自社の製品を絶賛するレビューを複数のアカウントで自作自演し、

その上、

ライバル会社の製品に対しては、悪評価レビューを書き込んで営業妨害を行っている。


Amazonのレビューに関してはこのような行為が横行しているので、注意していただきたい。

レビューは、そのレビュワーの他のレビューなど、履歴を見て、レビュワーが信用出来るかどうか、不自然なところがないかを確認する必要がある。
posted by 本気らいふ at 03:00| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月03日

インターネット時代に阪急の小林一三

インターネットの時代になってから、日本の動きがあまりに遅いと感じる事が多くなった。

スピードがますます重要になる変化の激しい時代なのに、現代日本の「常識」に縛られた人々があまりに多すぎて、このままで大丈夫?と不安になる。

とかく事前に許可を取りたがったり、お墨付きを欲しがったりする事が多く、

ところが、

許可を取ろうとしても、新しい仕組みなどについては役所などはまだ把握していない段階で、許可を与える以前の状況だったりする。

そこに新しいチャンス、大きな飛躍の余地というものだあるのだけれど、

ここで、

「許可を先にもらわないと動くべきではない」

なんて発想で、許可を取りたがるものだから、お役所などはどうするかというと、

「よく分からないから、とりあえず許可を与えない事にしよう」

という事になって、せっかくのチャンスを自分で潰してしまうのだ。


激動の時代に日本経済の発展を担った人々の行動を振り返ると、今の時代への教訓となるものが多い。

その中でも「小林一三」にはワクワクさせられるエピソードが多い。

鉄道沿線に住宅開発をする。
沿線にデパートや遊園地を作る。
列車の中に広告を設置する(中吊り広告など)
ビジネスホテルを発案する

といった事は、小林一三のアイデアであり、沿線開発という発想は彼が世界初だという。

乗客の居ない沿線だった箕面電鉄を任された小林一三は、住宅販売や遊園地(宝塚)を開発することで乗客を生み出すという発想で、のちの阪急を創り上げた。

その独創と、それを実現するスピードの秘訣について、私が現代に最も欠けている部分だと思ったのが次のエピソードである。

中吊り広告を発案した当時のこと、

小林の部下が関係省庁などに許可を取り付けようと言い出した時の事だ。

小林は

「役人は禁止するのが仕事なんだから、新しいことをやってもいいかとお伺いを立てに行ったらダメと言われるに決まっている。」

と言って、部下を制した。

新しいアイデアはまずやってみる。

思った通りに人の役に立つ商売になれば、みんな喜ぶし役所も問題にはしない。

何か問題があったら、それをなんとかするのが役所の仕事で、まだ問題にもならないうちに役所の仕事を増やすような真似をしても、誰の得にもならない。


この発想が、今の日本に一番欠けているものだ。

極度に怒られるのを恐れる。

とにかく失敗しない事を最優先してしまうから、新しいことが始まる前にがんじがらめになって動けなくなる。

インターネットのみならず、リアルの世界でもグローバルに繋がっていく時代に、いちいち誰かに許可をとるとか、怒られないようにお墨付きを欲しがるなんて、乳離れの出来ない事をやっていたら、全部取り上げられて終りだ。

新しい分野に乗り出したら自分自身が先駆者なんだから、そこに誰も許可を出してくれる上位者は居ない。

なのに、無理やり上位者を求めるから、新しい分野を全く理解しない、上位者としてふさわしくない人々がそこに座って、「不許可」のハンコを押して回るってバカバカしい事になるのだ。

Googleとか見てごらん。

確かにいろいろと軋轢も生んでいるけれど、とにかく世の中に出してみるって事をやってくれているから、様々な便利なサービスが出てくる。

問題があれば、後から修正をしていって落とし所を見つけていけばいい。

「そういう杜撰なことでイケナイ、用意周到にやるべきだ。」と言う人も居るだろうが、

それでは新しい分野を開拓することは出来ない。

その先がどうなるかを完全に予測できないからこその「フロンティア」だからだ。


用意周到に、予め問題が起きないように、

そんな事を完璧に実現しようとすると、現状で確実に分かっている範囲から外れる事は一切できなくなる。

だから、閉塞感に苛まれる事になるのだ。

本来、日本人はもっと自由に、やんちゃに新分野を開拓する才があるハズだ。

相場を世界で初めてやったのも日本人なら、

ダンピングという手法も日本人が世界で初めて開発したという。

現代日本がむしろ例外的に「ヒキコモリ体質の日本」となっているだけであり、

かつての闊達とした日本人を知って欲しいと思う。


小林一三に関する本は数多くある。




また、現在、龍馬伝で若い世代にもお馴染みになっている「岩崎弥太郎」については、


猛き黄金の国岩崎弥太郎 (1) (集英社文庫―コミック版)

というマンガがざっくり読めて面白い。もちろんディフォルメされている部分もあるので、マンガの中の姿がそのままではない(大河ドラマも同じ)のだが、しかし、ああいう熱気というものがなければ、大きな仕事は出来ないであろうから、ちょっと大げさな姿で読み込んでおく方が調度いいのではないかと思う。





posted by 本気らいふ at 02:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論家の体で | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月02日

信じるときは、裏切られる覚悟をする。

人を信じて裏切られるというのは苦しいものです。

相手を恨みたくもなるし、仕返しをしたくもなる。

でも、恨んだり仕返しを考えたりする事は、何の解決にもならない事で、時間の無駄ですね。


では、裏切りを予防することは出来るでしょうか?

これも無理でしょう。

お互いが組む時には、お互いの利害が一致しているでしょうが、

万物流転です。

状況は変わります。

気持ちは揺れ動きます。

自分にとってメリットの無い関係になってしまった時に、自分が損をしてでも一緒にやっていくなって無理を重ねてまで「裏切らない」事にこだわるべきでしょうか?

自分が裏切る側にならざるを得ない場合を考えてみれば、

状況が変わったら関係も変わるという事を受け入れるしか無い。

裏切りを予防する方法はありません。

あるとすれば、全ての進歩を捨てて、なぁなぁで互いに足を引っ張り合い、ぬるい関係を続ける以外にないでしょう。


感情的になって「裏切られた」と思うときは、

実は相手の不利益を考えず、自分ばかりが得をする状態に成っていたのかも知れない。

自分よりも利益になる別の相手を見つけたのかも知れない。

自分が相手にとって欠かせない存在であり続けることが出来なかったと捉えれば、

「裏切られた」という感情に振り回される必要はなくなります。

感情でとらえるから見えなくなってしまうだけです。

裏切りのほとんどは、単に新しい展開だというだけです。

稀に、悪意を元に裏切る人も居ますが、その場合でも、

それを見ぬくことが出来ずに組んでしまった自分の甘さが「裏切られる一番の原因」です。


裏切らざるを得なかった相手の事は、道を違えた元仲間と捉えて、さっさと許してしまった方が自分の未来のためになります。

まぁ、よくよく考えてみれば、許すとか許さないとかって問題でも無いですね。

悪意で裏切った相手については尚の事、感情で考えないようにして、むしろ去ってくれてラッキーだと捉えるべきでしょう。


それでも、どうしても裏切られたくないという場合は、

誰とも組まないことです。

たった一人で誰も信じないで誰とも関係しないで生きていく他に、裏切られないで済む方法はありませんからね。


裏切られることも覚悟して信じるか、

信じずに一人でやっていくか、

いずれにせよ、「孤独」を受け入れる事に変わりはありません。
posted by 本気らいふ at 15:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功は体で覚えろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月01日

見える檻とは戦える

日本社会に閉塞感

なんてお話が良く見られるようになった。

閉じ込められた感じがドコから来るのか。

今の日本社会は、どちらかというと自由だ。

言論統制も思想統制も無い。

自由に政府を批判することも出来る。

そんな世界に居るのに「閉塞感」について語らなくちゃならないというのは、何なんだろうね。


見える檻に閉じ込められていた時は、闘う相手が見えていた。

手段はなんであれ、体を動かして、痛みに耐える覚悟があれば闘うことが出来た。

でも、

今の世の中に蔓延している閉塞感には、相手が居ない。

それもそのはずで、

閉塞感を生み出しているのは、自分自身だからだ。

何かをやる前に、先回りして障害を避けようと言う意識が働くように教育されている。

人生は障害だらけだってのに、

障害が無い事を前提にして、障害の無い道を必死になって探している。

それが賢いことだとされている。

でも、真実の世界は障害だらかだから、

障害を避けようとすればするほど、進む道がなくなってしまう。


本当に必要なのは、障害を乗り越える事だし、場合によっては障害を打ち壊す事だってのに、

あらゆる衝突を避ける事に意識を向けているから、身動きが取れなくなってしまう。

障害を避けようとすれば、

人生は八方塞がりに見えるだろう。

それこそが、閉塞感の正体だ。


言語力だの読書力だの日本語力だのを問題にしている人が多い。

そこに問題があるのは私も認める。

でも、その能力低下を、読書とかディベートで回復するなんてのは、机上の空論でしかない。

本当に必要なのは、

本を読んででも日本語力を身につけようと思うような場面だ。

そういうチャンスを奪う事が「安全」「安心」を与える事だと勘違いした人々が、どこにも衝突できない世界を作ってしまったのが根本の問題なのだ。

言語力、コミュニケーション能力というものは、衝突する世界にしか必要とされない。

障害を避ける世界では、コミュニケーション能力なんて必要ない。

だから、コミュニケーション能力が身につかないのだ。


端的に言えば、喧嘩があるからコミュニケーション能力が必要になる。

戦争があるから、外交というコミュニケーション能力が必要とされる。

ぶつかり合って喧嘩して、それを繰り返していると痛いし楽しくないから言葉を磨き、考えを伝えるようになる。

衝突を避ける事を優先していると、コミュニケーション能力そのものが必要なくなってしまうのだ。


衝突の要素を取り除き、衝突の場面が出てくるとそれを取り上げてしまい、衝突を避ける方法を叩き込んで行った事が、今の閉塞感を生み出している。

この閉塞感の困った点は、

自分を閉じ込めてしまうのは、他者ではなく、自分自身だという事だ。

物理的に他者が自分を閉じ込めているのなら、其の相手と戦えば良い。

しかし、自分の考え方が自分を閉じ込めているのなら、これは自分の在り様を変えない限り抜け出すことは出来ない。


見えない檻からは抜け出せない。

だから、自分自身が檻なのだという事に気づく事が大事だ。

閉塞感の出所が自分の受けてきた教育にあるのなら、自分自身を開放するための再教育を自分に施すことが大事だ。

実はこれと同じ事を打ち破る動きが活発だった時代がある。

それは明治維新の頃だ。

徳川政権が絶対であるという発想から逃れる事の難しさは、今の閉塞感に似ていて、最も重要な鍵は自分の在り様を変えることだった。

あの時代をひっぱっていった若者たちに共通するのは、

ぶつかり合う仲間を持っていたことだ。

松下村塾から出た人材。

龍馬の元に集った人材。

誰もがぶつかり合う仲間をもつ事で、自分の檻をブチ壊した。

教育とは、本来、今をブチ壊すチカラを与えるものだ。

生きていれば絶対に避けられない障害と渡り合う方法を教えるのが教育だ。

だが、天下泰平が当たり前だという誤解に基づいた教育の元では、障害をひたすら避ける教育が蔓延ってしまう。


必要なのは、ぶつかり合う為の教育だ。

より良い結果を生み出すための衝突のやり方を学ぶ場と、共に学ぶ仲間だ。

その先に、

敵と共存出来る世界が、敵が仲間になる世界がある。


和を大事にするのが日本の文化だからといった声も聞こえてきそうだが、

「和」というのは、避ける事ではない。

衝突があって、それを「和」へと治めるという、高度にアクティブな行動なのだ。

「和」は、汗と涙と、時には血を流して獲得するものである。


ぶつかり合う事、そこで「和」に収めて行く事を学び合える仲間と集える場所、それを持ってみないか?
posted by 本気らいふ at 21:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 成功は体で覚えろ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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