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2010年03月30日

Google撤退は中国の停滞を招くかもしれない。

民主主義が必ずしも経済発展に必要な要素ではないと受け止められそうな勢いを見せている中国。

非民主主義的なアフリカ諸国がこぞって中国を歓迎している理由はそこにあり、既得権益を妨害しない中国式資本主義が短期的には優勢となっている。

だが、それは短期的な視点に偏りすぎている。

民主主義を置き去りにした資本主義経済は、充電したエネルギーをただただ使うだけの経済となり、エネルギーが切れてしまった時には、僻地でバッテリーの切れたラップトップコンピュータのように、思いだけの荷物になってしまうだろう。

どういう事かというと、資本主義経済を動かす「発電機」にあたる続きを読む
posted by 本気らいふ at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

「どうする高レベル放射性廃棄物」

シンポジウム「どうする高レベル放射性廃棄物」

こんなシンポジウムをやっていたんだなぁと、いまさらながら読んだりしているところ。

何が何でも安全なんだといった具合だった頃よりはマシなんだろうか、

それでも、やはり誰も1000年先もこの国が同じように安定した国であり続ける事に強い疑問を持っていないように見えるのが不思議だ。

1000年前の日本がどうだったか、その当時の記録が残っているのかを考えてみれば、もうちょっと深いところに議論は行くんだと思うんだけどね。

そもそも、たった数十年前の原発1号機を解体する為に、当時の設計図を探そうとしてもそれがちゃんと保管されていないんだから。

その程度のことも出来ないのに、1000年、万年閉じ込めるなんて事ができると信じられるなら、2012年に人類が滅亡する事を信じる方が簡単だと思う。


それでも、こうやって議論することは意味がある。

徹底した悲観の中から、本当の希望が生まれることだってあるからだ。
posted by 本気らいふ at 17:36| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月21日

知能の高低で生命の価値を序列化する、「ザ・コーブ」監督の知能の低さ。

イルカ漁の現場を隠し撮りした映画「ザ・コーヴ」

監督が、「イルカは知能が高いからダメ。牛や豚は知能が低いから構わない」

という趣旨の発言をしたという。

こういう発言をする人たちは、自分たちの知能の低さには全く気づかない。

知能が低いから気づくはずもないのだが。

今更、呆れもしないし驚きもない。この手の稚拙な論理はずいぶん昔からある。

例えば、ユダヤ人は劣等種なので殺しても構わないといった論理や、

知能の低い人間は子孫を残さない方が幸せだとして断種措置が行われたり、

おそらくは積極的に殺している点が違うと反論されるだろうが、それは表面的な違いでしかない。根底にある思想の危険性は見逃せない。

知能が高いものを殺してはならないという発想の危険性は、人間が勝手に決めた基準によって命の価値を序列化するという事が正当だと考える愚かさにある。

今回は「知能」を基準にして命の価値を決めている典型例なのだが、

知能というものに、命の価値を左右するほどの違いがあるのだろうか?

そもそも、知能というものがそんなに素晴らしいものなのだろうか?

もしかしたら知能そのものが人間を邪悪にしていないだろうか?

知能によって不幸や混乱が引き起こされていないだろうか?

多くの知能の低い生命体によって生かされている事実をどう考えるのだろうか?

そして、

知能が高いことを命の価値の根拠とするような人の知能は高いと言えるだろうか?


そもそも、知能というものそれ自体に、生命の価値を表すほどの価値があるのだろうか?



知能とは、人間が生き残るために積極的に伸ばした能力のひとつでしかない。

腕力に劣り、牙も爪も持たない人類が生き残り繁栄するために磨き上げた武器の一つに過ぎない。

牛の角と同じだ。

肉食獣の牙や爪と同じだ。

生身のままでは彼らに殺されるしか無かった人類が、知能の高さを得て、道具を駆使して彼らに対抗した。

その事をよく知る文化を持つ人々は、知能を根拠に他の命を軽んずる事をしない。

漁師が海の神に祈り、獲物である鯨を神として祀ったりする行為には、知能に奢ってしまう事への危機感があり、それを戒めていたのだろう。


人間の都合で勝手に命を序列化するという考え方は、特にキリスト教圏で強いように思われる。

これは、聖書の中で、人間が他のすべての生命の上に立つ存在として位置づけられた事をその根拠にしているようだが、

実は、それはエデンの園を追い出される前の話だ。

エデンの園を追い出される事になったのは「知恵の実」を食べてしまったから。

つまり、「知能」に思い上がってしまったことで平安を失ってしまった事を意味していたのではないだろうか?


命を奪って生きるしかないという事が生命の本質だ。

自分の命を尊いと思うから、今食べようとする命も尊いのだという事に気づく知性こそが、人間の素晴らしさであり、

それは、知能の高低に関わらず、命の前に敬虔な気持ちで「いただきます」と手を合わせる姿にあらわれている。

イルカ漁は、もともと他の魚を食い荒らし、漁場を荒らすイルカを退治しないと漁師が生きていけないという事情もあったという。

そこに真剣に生き抜こうとする意志があり、培われてきたものだ。

もちろん、その精神を忘れて無意味にイルカを殺戮しているというのであれば、批難されても仕方ないが、あの映画は何の根拠もなく、ヒットするドキュメンタリー映画として構成されたものである。

リスクを負ってイルカ漁を行い、イルカの命に感謝して食す人々を貶める資格など、彼らにはない。

この監督は家畜を食べる事は問題ないと言っているが、むしろそちらの方の問題に目を向けるべきである。

人間の命を支えるには、現在家畜の飼料にされている分を、人間が直接食べるようにした方がより効率的である事はよく知られている。

しかも、家畜として屠殺された肉は、ブクブクに肥え太り、命を縮めるほど強欲に食べ続ける人々によって今日もどこかで食べ残され、残飯になっていく。

命に対する軽視がそこにある。

知能の低さを根拠に命を軽く見る事が、家畜の劣悪な飼育環境や、過剰生産、過剰消費、捨てられる食材など、様々な問題を引き起こしている。

命に対する敬意を持てないような知能こそが、最も低レベルの知能である。

他の存在に敬意を払うという事は知能の暴走を防ぐブレーキでもある。

全ての能力にはブレーキが備わっている。

強欲にかられて腕力を振るい続ける事がないように、牙を爪を際限なく振るうことがないように、知能が低いとされる動物たちは、本能にそのブレーキを持っている。

知能が高いと思い上がっている人間こそが、その意味では最も下等な生き物なのかも知れないという、せめて疑いだけでも持つべきではないか。

欲を止められず、アクセルを踏みっぱなし。そういう種である人間が、何の疑いも無く「知能最高!」なんて思い上がっている姿は、なんとも醜悪ではないか。

商業作品として非常によく出来たこの映画は、

私はそこに知能の高さを感じることが出来ない。



それにしても、命に対する考察という点では、アバターの方がまだ深いと思う。

アバターが見た人の心に何かを残してくれる方が、まだ希望があると思える。

アカデミー賞とかよりも、動員数で考えたら、アバターが受け入れられる素地が出来ているのかな?
posted by 本気らいふ at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月19日

正論、世論を封殺する行為こそが、軍部賛美に繋がって行くのではないか?



陸上自衛隊の連隊長を注意処分にした事については、文民らしからぬ余裕の無い対応だと思っていたが、

連隊長の発言がクーデターに繋がるといった妄想ぶりには呆れてしまった。

このような頭でっかちの防衛相で国は守れるものだろうか?

北沢防衛相は、

「自衛隊を賛美して甘えの構造をつくることが最も危険だ。自衛隊が頑張っているからすべてがいいとなれば政治の存在がなくなる。昭和の陸海軍の歴史でも明らかだ」


と仰るが、昭和の陸海軍賛美が起きた前段階において、文民達の不手際があった事を忘れているのではないか?

軍が賛美される過程において、実は政治が国民の声、生活をないがしろにして、なんら手を打つ事が出来なかった事が、軍の人気を高めたという側面がある。

歴史の流れはある一点だけで決まるものではなく、その一点に繋がるものは何だったのかを理解しておかねば、過ちを繰り返す。

国民が政治に絶望したところに、軍が希望を携えて国民の前に登場するというパターンが繰り返されて来た事を忘れてはならない。

軍に希望を抱かねばならない程に、政治への信頼が失われてしまうところから、軍の暴走が始まるのである。

これは明らかに政治の、文民統制の失態なのである。


また、軍がこのような発言をしてしまう理由も考えてもらいたいものだ。

軍というものは、国に仕えて命を捧げるところである。

命を捧げるからには、捧げ甲斐のある国であってくれなくてはやりきれない。

首相を批判したとして、処分で発言を封殺するという事で済ませて良い問題ではない。

このような発言が出る余地のない政治が必要なのだ。


口先だけで信用してもらおうなどと虫のいい事が通じると思っているのが、三流政治の常だが、

そのような口先政治の果てに、軍の暴走といった不祥事がある事を理解して居ないようでは先が思いやられる。

軍の暴走は、軍の問題ではなく、軍を統制出来なくなってしまった政治の問題である事をお忘れなく。
posted by 本気らいふ at 16:12| Comment(0) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月01日

嘘ついてEUを危機に陥れておいて、過去をネタに他国をゆする。

第二次世界大戦の時の事を蒸し返して、独をゆすろうとするギリシャ。

決着のついた事を蒸し返す事が次の戦争を生むという事を悟ったからこそのEU構想だったのに、それをぶち壊すような発言をギリシャがやってくれた。

人間というのは、自身が思うほど上等なものではない。だから油断をしちゃならんのだ。

Greece angers Germany in gold row

"They [the Nazis] took away the Greek gold that was in the Bank of
Greece, they took away the Greek money and they never gave it back," he
said.
「ナチはギリシャ銀行から金塊を奪い去った。彼らはギリシャにカネを返していない。」

なんて事を言い出すなんて、それは賠償とかちゃんと決着した事なんだから、いちいち蒸し返してどうすんだっての。これでは悪い方向にしか向かわない。

そもそも、第一次大戦後にあまりにも多額の賠償を独に求めた事で、独経済が破綻し、苦しむ民衆の前に救世主としてナチが登場するという事になった事の反省から、続きを読む
posted by 本気らいふ at 02:03| Comment(1) | TrackBack(0) | どぉ〜なっちゃってんだよ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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